川下自動車整備工場 2代目
本当はプロ野球選手になりたかったんです。
川下自動車整備工場の2代目として生まれた私。
自分が「車屋の跡取り息子である」
ということを深く考えたことはありませんでした。
地元の工業高校に進学した理由も、家から一番近いから。
そして、野球が強い学校だから。
今ではバレーボールで全国制覇するほどの強豪、大村工業高校です。
小さい頃からの夢だった甲子園に出ることを夢見て、毎日野球に明け暮れていました。
その夢も、力及ばず叶わなかったけれど、野球一色の青春時代を過ごしました。
そんな私が跡取りとしての道を真剣に考え、歩み始めたのは、高校3年生の進路指導からだったでしょうか。。
歩み始めた整備士への道
プロ野球選手という夢から、現実的な自分の歩む道を決めたのは「家から近いから」という理由で選んだ工業高校に進学したことが後押ししてくれました。
整備士になるための専門学校を卒業したのち、日産ディーラーに就職しました。
腕のいい最高の先輩たちにも恵まれ、「跡取りなら日産の事は完璧に覚えて帰れ」と技術をみっちりと叩き込んでくださり、精神的にも鍛えていただきました。
今の自分があるのは、この時にご縁を頂いた先輩たちのおかげだと感謝しています。
日産を退社。実家の後を継ぐために。
ところが。。。早々に感じた現実の壁。
実家の整備工場ではディーラーのときとは違い、整備以外にも様々なこと(保険・鈑金・塗装・新車販売・中古車販売など)全てをこなさねばならず、想像以上に大変でした。
父からも、「まだまだだ」と言われ、自分に腹立たしく、
悔しくて悔しくてたまらなかった日々を覚えています。
父が突然の脳出血で倒産の危機・・・
私が長崎に戻って、間もない頃。
まだ当店のお客様を把握しきれてもいない頃です。
事務所で休憩していた父の様子がどうやらおかしい。。と、偶然来店していた看護士のお客様が、早々に気づいてくださいました。
家族は突然のことで何がなにやら。。
あの時は、本当に父の死を覚悟しました。
それと同時に、父が築き上げてきたこの整備工場を自分が潰してしまうかもしれない。
という不安という言葉を通り越した、とてつもない恐怖感。
このままではいけない。
父の腕を信頼して来てくださるお客様に、自分も信用してもらわなければ。
今思うと、あの時父が倒れることがなければ、”この整備工場を必死で自分が守っていく”
という覚悟はできていなかったかもしれません。
幸い、早期発見だったおかげで奇跡的に後遺症も残らず、
何事もなかったように今でも現役で仕事をこなしています。
二代目として、創業者である偉大な父を超えたくて目指した一級整備士
一級整備士という資格自体が出来たばかりの頃。
まだ大村市の町工場、認証工場には一級整備士がいませんでした。
まだまだだと、なかなか父に認めてもらえず、悔しさから取得を目指した一級整備士。
絶対に合格する!! と心に決めたものの、必死で勉強しても、
あと1点足りず、不合格。
あと1点足りず、不合格。
これを2回も経験し、何度も心が折れそうになりました。
しかし、この免許取得のために数年間を勉強に費やしてきたのです。
今更あきらめるわけにはいかない。
この資格を取得するまでは、何年掛かったとしても結婚はしない。
自らに課した背水の陣でした。
一級を取得出来たからと言って、父を超えられたかどうかは分かりません。
しかし、取得した合格証書を嬉しそうに眺めてくれていた父の顔。
これが一番の褒美だった気がします。
コンバートEV(電気自動車)との出会い
目標だった一級も取った。さて。
自分には人には出来ない何ができるだろうか?
と考えるようになりました。
色々なことを調べていくと、市販されてる車のエンジンを電気自動車のモーターと載せ換えて造る、コンバートEVという車の存在を知りました。
これはなんだ?こんなことが出来るのか?
どういう仕組みになっているのかとても興味を持って、新潟県まで1週間研修に行ってきました。
私が日本列島の中で、西の端の長崎から一番遠くに行ったのがこの時です。
実際にモーターを乗せ替えながら車を造り、仕組みを学んで帰ってきました。
研修の様子が↓↓コチラ↓↓からご覧いただけます。
2013年7月第27回 改造電気自動車教室参加者体験談
とても魅力的でしたが、実際に造るにはコストや時間、様々な問題がありました。
しかし、この研修がきっかけで、エコ、地球環境に貢献できる電気自動車のことに興味を持ったのです。
エコカー・電気自動車の販売へ
車検なし、家庭用充電で1回ふる充電約150円で約50km走れる一人乗りの電気自動車【超小型EV コムス】の販売&整備を始めました。
にも書いていますが、我が家に生まれてくれた二人の子ども。
その大切な子どもたちを苦しめる喘息。。
この子たちに残せる未来環境が、今より悪化していないことを願って、CO2を減らすために今私たちに出来ることを始めました。
ハイブリッド車、電気自動車の普及を目指す第一歩、それが、このコムスの販売でした。
長崎県内ではまだまだ見かけることは少ないですが、
全国的に、配達業務をしている企業を中心に拡販中のエコカーです。
隣町の東彼杵の役場ではコムス2台が導入されました。
ハイブリッド専門店を立ち上げました
そして、現在。
ハイブリッド車がだんだんと増えてきた中で、
「うちでもハイブリッド車の車検出来るけどな~」と、心で思っているだけの状態から脱出しよう。
ハイブリッド車を求めているお客様に、ディーラーが提供している中古車よりも安い金額で安心して購入出来るお店がある、と知ってもらおうと
低燃費車・ハイブリッド専門店を立ち上げました。
お客様に安心・安全をお届けする販売店、整備工場でありたい。
その気持ちを新たにし、2015年春。
新しい川下自動車整備工場が始動しました。